篁あろんは日々こんな感じのことを考えていたのです。
会社の雰囲気には慣れてきたものの、社会人としての生活にまだ慣れていない。今日も今日とて夜中までダウンロードをしていたので朝から非常に眠いのであった。会社ではすぐにでも働いてくれということでプログラムの動きを辿ったり設計思想を聞いたりと忙しいのだがその最中ではもう眠くてしんどくて下がる瞼を堪えていたら吐き気がしてきた。頭が痛い。
シャーペンを足に突き刺して絶える。痛い。
イベントのために久しぶりの早起きをする。
いや違った、出社のために早起きをした。
しかし会社に着いてみるとどういうわけかみょうにお腹が痛い。なんか痛いすごく痛いぞこれは重病かなどと思っていたのだがあまりの痛さでついには意識は薄れ悶絶したのち床をのた打ち回りびくっと痙攣をしたかと思うとそのまま動けなくなってしまう。気がついてふと目をやると腹が不自然に膨れ上がっておるので恐る恐る覗いたらそこには融資を断った銀行への怨みつらみを書き記した遺書を残して三ヶ月前このビルから身を投げた隣の会社の社長の顔の形をした人面痩ができていたのだった。
そんなわけ無かろうと思うかもしれないが本当だ。ものすごく痛いのである。いや人面痩というのはちょっと大げさなのだが他はだいたい本当のことなのです信じてください。
思うのだがこれは世間で言うところの所謂ストレスではないか。会社員として朝早くから起き満員電車に揺られて出勤するなどという、一動物としての人間には背負いきれない重圧というものが今わたしに襲い掛かり、わたしを押しつぶさんばかりに膨れ上がっているのである。
会社員として社会に適合した生活を送るなどとはやはりわたしには高望みだったのではないか。不安が頭をよぎるのであった。
イベントのために久しぶりの早起きをする。日曜日の朝7時などと言えばああ今日の分のダウンロードも済んだしさてそろそろ寝ようかという時間であり、こんな時間に起きてしまうことなど早寝早起きは健康に良いとみのもんたや堺正章がいくら一所懸命に言おうがあほらしくてやっていられるものではないのだが、人間やはり欲望には正直なのである。
イベントはわりとおもしろい感じで本もそこそこ手に入れたのだが、規模が小さいので昼を過ぎるともうすることも無くなった。こうなったらやることは日本橋に行くかラーメンを食って帰るか、あるいはその両方。
何を置いても昼飯を食いたいのでまず「味仙」で涼麺を戴き、腹も落ち着いたところで日本橋へ出向くことになるのであるが、「味仙」方面からだと日本橋へは北から侵入することになる。日本橋の北のほうというのはつまりコミック専門店「わんだーらんど」とか同人ショップ「虎の穴」とかがある方面なのである。朝から同人誌のわんさと並んだオタク集会に出張っておきながらまたこれである。あほちゃうか。
日本橋の巡回は疲れていたので適当に切り上げて、帰りに晩飯と称してラーメンを食べる。朝は時間が無くてビスケットを食べただけだったので、まともな食事は昨日の晩から3回続けてラーメンとなった。
早く起きたこと以外はどうしようもなく不健康な一日がこうして終わる。
今日から会社員となり無職ともおさらばになった。
これで収入は安定し生活は規則的になりお金は湧き出るように溢れ出るわ身長は伸びるわ脂肪が燃焼され筋肉質になり以前は内気だった僕にも彼女ができて人生に希望が持てるようになりましたありがとうございますもう大変な騒ぎある。
なにそんなうまい話あるわけが無いとな。有ったのだからしかたが無かろう。
日が長ごうなりましたなぁ。
いやぁほんまですなぁ。三月ほど前まで真ん丸やったのにほれ、あれ見てみなはれ縦が十倍ほども伸びてしもてから。
お陰で夕方でも明るてよろしいなあ。
てなことを考えながら一日を過ごす。
とある事情により就職することになったのここにご報告いたします。
いやいや本当だ嘘ではないのだ。嘘ではないというのに。
あ、こら何をするか、わしは正気じゃ。やめんか。なんじゃあの黄色い車は。わしはあんなものには乗らん。乗らんぞ。離せ、離してくれ。頼む助けてくれ。やめて〜
どうも、ここ最近車に乗るとエンストをするのである。暑くなってエンジンの調子が悪くなったのか日ごろ手入れを怠っているせいで埃が溜まったのか、あるいはスタンドで入れてもらったガソリンと思っていたあれは実はそうではなく、某国が陰謀でわたしを陥れ車の運転を出来なくさせて無理にでも就職活動をさせようと紛れ込ませた100パーセント蝦蟇の油だったのか。
と、暇を持て余してまたしても脳細胞の良からぬ機能をフル回転させているときはたと気づいたのだがそうそうそういえばこないだ靴下を替えた。つまり靴下が冬物から夏物に替わって薄くなったので靴の中がスカスカになったのに足の感覚がまだ追いついていなかっただけである。陰謀ではなかった。
その1
毎年この時期になると鬼の如き冷酷さでもって金を脅し取る輩がいる。ただの封書一つで 34,500円も金を払えとのたまうのである。貧乏人になんという仕打ちを。
春うらら 職は無くても 納税者
その2
ちょっとした用事と個人の趣味により日本橋を散策し、帰りに涼麺を食す。
味仙は麺を湯がく人によって味が全然違うので、いつも覗き見して誰が作るか確認して店に入る。オーナーの金ネックレスのおやじ(羅さんと言うらしい)が作るのが一番美味いのだが、今日はなんと中でオーナーがセロリを刻んでいた。喜んで中に入って涼麺を頼んでニヤニヤして待っていると、なぜかおばちゃんが涼麺を湯がきはじめたのであった。麺を湯がいて麺を冷やしてスープをかけて目の前に運ばれるまで、オーナーはセロリを刻みつづけるのであった。フェイクか。
その3
帰りに最寄の駅で蕨もちを買った。行くときに店が出ていたのを見て予約していたのである。いや、心の中でね。
「蕨もち (大) \500」「蕨もち (小) \300」だったので大ひとつでいいかないや小ふたつという手もしかしさすがに600円分はちょっと、などとかなりどうでもいいことに脳細胞の機能の80%以上を使っていたのだが、帰るとき見てみると大も小も100円引き、つまり「大 \400」「小 \200」になっていた。賞味期限が近いのか。
それで単純におお安い安いと思い何も考えずに大ひとつと頼んでしまったのが一巻の終わりであった。大ひとつ\500が\400に、小ひとつ\300が\200になっていたということはつまり、\400払って大ひとつ小ならふたつであり、大ひとつ\500分のところ小ならふたつで\600分の蕨もちが手に入ったはずなのである。\100分の蕨もちを買い損ねたのだ。大損してしまった。今日いちにち日本橋を散策して気分良くなって帰ってきたのが全てパーである。ああくやしい。
などと言う科白はドラマなどでもよく聞くわけだがなんのことは無い、ただ無職なだけなのだ。
酔ってぼけーとしながら鏡を見ていると、中から黒いぴかぴかでぴちぴちの服を着たメガネのおねえさんが出てきてわたしにこう言うのである「わたしは地獄から派遣されてきたアクマです。お願いがあるんですけど、あなたが死んだら魂を貰えないでしょうか」
あーつまりあれですか死んだときに魂をあなたに渡すように予約しておくわけですか「そうです。最近地獄も大変で、ノルマが厳しいんです」でもまだ死ぬ予定は無いしなあ「大丈夫ですよ30年や50年ぐらい待てますから。人間には長くてもアクマにはほんのちょっと待てばいいだけなんです」うーんでもただではなぁ「それもご心配なく。お約束ですが願い事を三つかなえてあげることができるんです」えーとじゃあすごくお金持ちになりたいなあ「それならおやすいご用です、それっ」おおお金がいっぱい〜って、これ何処の国のお金?「地獄です」人間だと思ってなめてるのかねえちゃん「これじゃだめですか?ごめんなさい。でも願い事はあと二つありますから」それじゃあそうだなあ、お城みたいな豪華な家に住みたい「わかりました、えーいっ」うわあすげー豪華だ、けどこの小ささはなに「え、えーっと、ごめんなさいごめんなさい。わたしいつもドジばっかりで今まで契約してもらったこと無いんです。こんなことじゃアクマ失格です…」えーっとうーんとででもそんなアクマが居ても良いんじゃないかな、あのさ三つ目のお願いなんだけど「はい」き、きみにずっとそばにいて欲しい…
酔いももうすっかり醒めているのにこの妄想っぷりはどうだ。
うちのような都市とはかけ離れた要するに早い話しが田舎の町も最近 ADSL の恩恵を受けることが出来るようになったらしい。らしい、のはいいのだが提供が開始されたからと言っても実際に引けるかどうかは別問題、いろいろとややこしい問題が出ないとも限らないわけで、そのへんを NTT に聞いてみる。
先ず、本当に引けるのかどうか。個別の回線単位で状況が変わるので調べてもらわないとわからないのだが、これは大丈夫だそうでまず第一関門クリア。
次に電話番号が変わるかどうか。NTT によると殆どの場合は番号が変更になるらしいのだが、うちは変えなくてもいいということである。
問題と思っていたところがあっさり片付いて、これであとは ISP を決めてしまえばもう OK である。
といいたいところだが、やはり予想通りモデムが無いらしい。三ヶ月待ちだと言われてしまった。
まあゆっくり ISP 探しでもすればよかろう。
ラーメンで生活する、と言うとまるで有名ラーメン店で修行を重ね地獄のような毎日を送った後、やっとのことで親方に許可を貰い涙を流して感激するという貧乏脱出大作戦のウソくさい場面などをつい考えてしまうかも知れないが、なんのことはない、ただ気の向いたときにラーメンを食べて幸せになり日々充実した生活をおくるのである。
というわけでラーメンを食べに行き幸せになった。今日は良い一日だった。
落語を見に行く。演目は「動物悩み相談室」桂三若、「寝床」林家染丸、「野崎詣り」桂春団冶、「崇徳院」桂文枝、中入のあと「手水廻し」桂文珍、「加賀見山」露の五郎の六つ。はい「青菜」は誰もやってないのでタイトルは全然関係ありません。
サンケイホールに着いたのが開演20分前の6時10分頃なのだが、これがもうどっちを見てもじじばば。たまに若いような気がしてもどうがんばっても40前のおっさんおばはんで、落語を見て笑うつもりが却って一気に老け込んでしうのではないか、と危機感漂う会場である。
まあ周りはそんなでも内容はすごく良かったので満足した。機会があればまた見に行きたい。
それにしてもちょっとどうかと思うのはおばはん連中である。「いやぁ手水てあんたいやあははは、廻したはるがなうわはは」やかましわい。
孔明先生のことを考えてなかなか寝付けなかった。
やはり金銭面での問題が大きいのだ。貯金さえしっかり有れば何の躊躇いも無くその場で申し込むのは間違いないのだが、如何せん今のわたしには貯えが殆ど無いのである。買おうとすると、預金を全て解約したうえ借金をし残った金額をローンで支払う、という手段しか残っていない。どうしようかなー、と朝から考えあぐねていたのだが、考えるばかりではしかたが無いのでもう一回松坂屋に行くことにした。どうせ二、三回は見に行くつもりだったけど。
三時半頃会場に着いたのだが今日は最終日なので開場しているのは五時までの一時間半しかない。取り敢えず販売コーナーを覗いて、孔明先生がまだ売約済みになっていないことを確認してから入場券を買って中へ入った。入るなり「平家物語」の展示を素通りして「三国志」の方へ向かってしまう。おっといかんいかん、とそこでちょっとわれに帰って先ず董卓、関羽、張飛、趙雲などを見てまわる。やはり董卓の迫力が凄い。関羽、髭かっこ良すぎ。そしておずおずと孔明先生の前へ。
ああ。孔明先生、素敵。
残念なことに孔明先生の前で、崔州平、石広元、孟公威の三人が酒盛りをしていて、ぐぐっと近づいてみることが出来ない。それに孔明先生はどっちかと言うと上目遣いになっているほうが思慮深い感じがして良いと思うのだ。いや見上げているのも悪いわけではなく、これはこれで天文を見ている雰囲気があって素晴らしい。要するにもっと近づいて見られれば良いのである。つまり買えばいつでも! ぐおぉ…
考えながらただひたすら孔明先生を見つめる。結局一時間半のうち三十分以上孔明先生を見上げていたようで、見ているうちにアナウンスが流れて閉場時間になったと告げるのである。もっと見てたいのに。買えばいつでも…
うぐぐぅ… 欲しい… しかし金が…
延々と一人漫才を繰り返すわけにもいかず、どうしたものかと考えに考えた末出た結論は「残念だが今回は諦めることにする」。
欲しくて欲しくてたまらないのだが、やはり金銭の問題を解決しないことにはどうにもならないということがこの世の中には存在するのだ。次の機会には手に入れる。必ず手に入れる、と決心をして預金のために就職活動をすることにする。働かざるもの買うべからず。人間すべからく働くべし。
孔明人形を買うかどうか、と一日中悩む。
大阪天満橋の松坂屋で、五月三日から五月八日まで川本喜八郎展が開催されている。新聞広告で見たので行かなくてはと思いつつ忘れていたのを、昨日の帰りに地下鉄の車内広告を流星サムソンが見つけてくれたので思い出した。
今日、相変わらず昼過ぎに起き出して、もう殆ど夕方という時刻になって松坂屋へ行く。入場は無料だと思っていたのだが、一般は700円であった。まあたとえこれが7,000円でも何の躊躇も無く入るのでかまわないが。
中に入ると先ず「平家物語」の人形が飾ってあり、いちいち説明書きが添えてある。人形の前には柵やケースが無く、わずか5cmばかりの距離まで近づいて人形を隅から隅まで拝めるのである。近くに寄れば寄るほど実に精巧で、目の前で動いてくれないのが残念である。
奥へ進むとさらに古い作品「道成寺」「火宅」などの人形があり (これはガラスケースに入っていた) 、これらの作品のビデオが上映されていたりした。
そこから更に進むとお目当ての「三国志」である。これもまたすぐ近くで見ることができる。曹操の手も、張飛の足も、関羽の髭もほんの目の前にある。これに触ることは当然のことながら出来ないのであり、それがとてもくちおしいのである。
ビデオを少し見たのと合せて、人形をしげしげと二時間ほど眺め、もうそろそろ閉館となったので出口を出たのだが、そこではいろいろと関連商品が並んでいるのである。三国志関連では、ミニチュアの人形があったり一筆箋があったりした。ビデオも有ったが、これはDVDだったらその場で買っていたと思う。
しかしそれらの関連商品も霞掛かって見えたのは、出てすぐのところに置いてあった看板である。表題にこう書いてあるのだ「川本喜八郎オリジナル人形製作」。孔明 (白装束) 限定1。孔明 (黒装束) 限定2。関羽限定1、売約済み。つまり、川本喜八郎本人が人形を作ってくれるというのである。欲しい。凄く欲しい。なんとかしたい。しかし下の方にはこうも書かれているのである「価格は係員にお尋ねください」。
いったい幾らするのか、聞いたら魂が抜けてしまうかも知れないと思いつつ暫く眺めていると、横にいたおばはんが苦も無く値段を聞いたのである。なんと命知らずなことを。
対応した販売員は笑顔で教えてくれた。「はい、こちら (孔明、白) が180万円、こちら (孔明、黒) が150万円です。こちら (関羽) の人形は180万円ですが、売約済みとなっております」
ぷしゅぅと音がして魂が抜けて行くのを感じる。
だがしかし、やっぱり欲しい。欲しい欲しい、と思っているその目の前で、お得意様と思しき客からの電話で孔明人形 (白装束) に「売約済み」の札が貼られたのである。ああ、もう孔明 (黒装束) 2体を残すのみなのか。ああ、今を逃すと金輪際こんなチャンスは来ないに違いない。最後のチャンスなのだ。欲しい。
おもむろに電話を取り出し、親に掛けるわたし。「もしもし、ちょっと金貸してくれへんかな。150万円ほど」。しかし「はあ?」と言われて轟沈するのであった。あたりまえである。
まあ確かにそんなものをぽんと出してくれるほど親も世間も甘くは無いのだが、しかしこんなチャンスはもう来ないのだ。なんとかしたい。
貧乏生活を送っているとは言え、貯金を引っ掻き集めれば70万円ぐらいにはなるはずである。親に100万円弱借りれば買えなくも無い。100万円なら働いていれば一年ぐらいで返せる筈である。
ここが思案のしどころである。
予定でははっぴぃちゃん、潮崎拓未、それに帰省しているきさらちゃんと計4人で呑みに行く筈だったのだが、きさらちゃんが疲れ果てていたのでそれはまた次の機会ということになった。ので、次に呑む話が出たときは来るようにね、きさらちゃん。
で、夜の予定が無くなったところへ元知り合いから電話があり「昨日言うてた焼肉の話しやけど、きさらちゃん帰るそうやし来るか」と誘われたので有りがたく付いていき、焼肉を食べて酒を呑みあほな話しをして笑い転げのたうちまわり腹がよじれ腹筋が切れ舌は飛び出し脳汁を飛び散らせたのを逆さ張り付けにする、と散々騒いだ後散会する。
いさお。と言っても、自分の持ってる会社が傾いたからと私財850億円をなげうってまで立て直そうとした漢気溢れる変人経営者故大川功のことではなく、ささきいさお御大のことである。出演者欄には佐々木功と表記されていたのだが、やはり佐々木功ではなくささきいさおと書いたほうがなんとなく嬉しいような気がする。
そのささきいさお御大が歌うというのである。しかもフェスティバルゲートの客寄せとして開催されるアニメソングコンサートというイベントででありこれはつまりただなのである。この世にただほど嬉しいものはない。
会場に着くと真ん中あたりのステージ周辺で、今後の人生でフェスティバルゲートの客層と交わることなど絶対的に有り得ない人たちが渦巻いているのがわかる。あえて表現するなら明るい雰囲気のまんだらけと言ったところか。じつにわかりやすい。
しばらく待った後、前座の歌手が出てきてなんか歌っていたのだが、会場の静けさがじつに可哀想である。尤も、歌は下手だったし、だいいちあんな歌い方では近い将来声を潰してしまうであろう。発声練習からやり直したほうが良い。
苦痛に満ちた時間を耐え忍ぶと愈愈ささきいさお御大であるが、これがまたよく喋ってよく歌うのだ。あの低いよく通る声、しかもどういうわけか昔より更に音域が広くなってより良い声になったあの声で、一時間のステージ中なんと十曲も歌い、曲と曲の間はずっと話している。話しの内容も昔の裏話やらこれからの展開などなどとにかく多彩なのだ。これぞプロフェッショナル。すばらしい。ハラショー。
あっという間に一時間過ぎてしまい、次のステージまで待つ。ただ待つのみ。途中また、じつに可哀想な展開になった前座のねぇちゃんが出てきたりした後、再びささき御大の登場となる。トークの内容、さっきと全然違う。声、一回目よりよく通る。いったいこの人の声帯はどうなっておるのだ。もう還暦が近いのに。
ああ、もう。今日はおなかいっぱい。
世間は大型連休である。連休なので休むのである。なにもわざわざみんな一緒になって休んで一緒になって遊園地へ行くことなどないであろうに、それを覚悟してわざわざ休むのである。
辞めればずーっと休みなのに。